便秘で「怖い思い」をしたことがあります。
硬い便が肛門に詰まり、油汗が出るほど苦しかった経験は、今でも忘れられません。
60代になってからの便秘は、ただ出ないだけでは済まないと感じました。
この体験から、便をどう受け止めるようになったかを書きます。
見て見ぬふりで数十年・・・
正直に書きます。
私は長い間、
便のことを考えるのが怖かったのです。
出ない。
苦しい。
でも、考えたくない。
だから
下剤を飲んで、
「出たからいいや」と思う。
それを繰り返していました。
■ あのときの恐怖は、今でも忘れられません
これまでに二回、
硬くなった便が肛門に詰まり、どうにもならなくなったことがあります。
本当に、動けません。
痛みで体に力が入り、
脂汗が出て、
「声を出したら余計にだめになる気がして」
ただ、じっと耐えるしかない。
恥ずかしいとか、情けないとか、
そんなことを考える余裕はありません。
ただ、怖かった。
「このまま救急車を呼ぶことになるのだろうか」
「年を取るって、こういうことなの?」
そんな考えが頭の中をぐるぐる回っていました。
■ でも、あれは突然起きたわけじゃなかった
落ち着いてから、ふと思ったのです。
あれは、
ある日いきなり起きた事故ではない。
- 水をあまり飲んでいなかった
- 歩くことも少なかった
- 便意を感じても後回しにしていた
- 下剤に頼れば何とかなると思っていた
全部、心当たりがありました。
でも、そのときの私は、
それを直視するのがつらかったのです。
■ 「観察する」という言葉に、最初は抵抗がありました
医師の話や本の中で
「便を観察しましょう」と書かれているのを見たとき、
正直、嫌でした。
見たくない。
考えたくない。
そんな余裕はない。
でも、あの恐怖を二度と繰り返したくなかった。
それだけが理由で、
しぶしぶ「観察」を始めました。
■ 観察といっても、たいしたことではありません
私が見ていたのは、ほんのこれだけです。
- 硬すぎないか
- 何日ぶりか
- 出るまで、どれくらい苦しかったか
- その前の日、何をしていたか
「良い」「悪い」と判断しません。
反省会もしません。
ただ、
「ああ、今日はこうだったんだな」
と心の中でつぶやくだけ。
■ 便は、思っていた以上に正直でした
水を飲まなかった日は、
ちゃんと硬くなる。
歩かなかった日は、
出にくくなる。
忙しくて気持ちに余裕がないと、
それも、ちゃんと表れる。
それを見て、
ようやく私は思いました。
腸は、ずっと前からサインを出していたのに、
私が無視していただけなんだ。
■ 完璧な便なんて、なくていい
観察するようになってからも、
毎日うまくいくわけではありません。
出ない日もあります。
「今日は無理だな」と思う日もあります。
でも、
それを「失敗」と思わなくなりました。
若いころの体と同じであるはずがない。
60代の体には、60代のリズムがある。
そう思えるようになっただけで、
気持ちが、ずいぶん楽になったのです。
■ 便を観ることは、自分の暮らしを観ることだった
今は、便を見るたびに、
少しだけ自分の生活を振り返ります。
「最近、水飲んでないな」
「歩いてないな」
「無理してたかもな」
叱らない。
責めない。
気づくだけ。
それが、今の私の腸との付き合い方です。
■ 次回は、ここまで書いてきた正直な話をまとめます
次回は、
この腸の話を通して気づいたこと、
「腸を整えるって、結局どういうことだったのか」
を、自分なりに整理してみようと思います。
立派な健康法ではありません。
うまくいった話ばかりでもありません。
でも、
同じように悩んでいる誰かに
「あなた一人じゃない」と伝えられたら、
それで十分だと思っています。

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